平成十八年十月二十日(金曜日)
午後九時三十分開議
○遠藤(乙)委員 公明党の遠藤乙彦でございます。
ま伊吹大臣には、この重大な局面に当たりまして、大変見識の高い伊吹大臣が誕生されたことを大変心強く思っております。特に昨今、やっと教育の中身について議論が始まったという認識を私は持っております。従来、財源の部分ばかりが議論されてきて、ちょっと順序が逆なんではないかと私は思っておりました。まず教育の中身をしっかり議論して、その上でどう財源の手当てをするかを議論すべきだと思いますが、ちょっと順序が逆だったように思いますけれども、やっと本格的に教育の中身を議論することができるようになった、大変大事なタイミングだと私は思っております。ぜひ伊吹大臣の御活躍を、心から期待をまず申し上げたいと思っております。
それで、私もまずいじめの問題から入りたいと思っております。これは単にいじめの問題というだけではなくて、やはり教育システム全体にかかわる大きな問題だろうというふうに思っております。福岡の問題、また北海道の問題、非常に痛ましい、心を痛める事件でありますけれども、なぜいじめがなくならないのかということは、本当に真剣にこれから取り組んでいかなければならないと思っております。
実際の報告、統計数字と、例えば七年間いじめによる自殺がゼロだったというような報告になっておりますけれども、今回の問題の発生は、それはちょっと違うんではないか、報告と実態がかけ離れているんではないかということで、国民の間に深い疑念が生じております。これは、さっき大臣が報告、連絡、相談ということを言われまして、これを徹底していくことが大事だということで既にお答えをいただいておりますので、それはそういうことにして、次のテーマとして、私もちょっと今回の問題に絡んで資料を調べてみて、今までも随分いじめの問題が取り上げられ、議論されてきている。例えば、平成八年七月十六日に出された調査研究協力者会議の報告ですね、いじめに関する問題。これも、よく見ますと、非常によくできているという印象を私は持っております。非常に専門家の方がしっかり議論して、問題を提起し、よく議論してできたガイドラインだなという気はしております。
多分、問題は、ガイドラインを出しても、それが現場で実施されない。現場の取り組む意識。学校、教師、教育委員会等々、現場のそういったいじめに対する、深刻さの認識がやはり欠けているんではないかということ。あるいはまた、個々の教師がいじめの問題に取り組んでいくに当たって、十分な時間がないとか、雑務に追われるとか、実施体制の問題。あるいは、教育委員会と学校との連携とか、先ほど大臣も指摘しておられましたが、実施体制においてまだまだ欠けるところがあるんではないかという気がいたしております。
そういった意味で、ぜひとも、そういったガイドラインを出すのみならず、実施体制の部分においてもさらなる強化をお願いしたいということなんですが、まず、これにつきまして大臣の御所見を伺いたいと思っております。
○伊吹国務大臣 今先生おっしゃった、全くそのとおりでして、幾ら報告を求めて制度を整備しましても、少なくとも今の法制では、地方の学校にまでは直接国家の調査権限は及びませんので、靴の上からやや足をかいているようなことなんですけれども。
昨日の会議でも、こういう事例についてはこういうことをやって、うまく物がおさまったよという、成功のシステムをかなりの教育委員会が積極的に開陳したようでございますので、単に報告を求めるとかどうだとかという通達をするだけじゃなくて、今おっしゃったように、ソフトですね、どういう仕組みでそれをやればうまくいったんだというようなことは、それはもちろん徹底させたいと思っております。
○遠藤(乙)委員 ぜひ、そういう具体的な運動論等につきましても、しっかりと議論して徹底をしていただければと思っております。
続いて、いじめの問題について、いじめられている子供の立場から気軽に相談できるシステム、また、すぐ何か手を打ってくれる、そういうシステムがやはり十分ではないんじゃないかという気がいたしております。学校の先生に相談してもなかなか動いてくれないとか、直接の学校の場ではなかなか言いにくい。また、カウンセラーのところに行っても、そのこと自体が何かまたいじめの原因になるようなこともあり得るかもしれない。いろいろな意味で子供の立場に立った、いじめを解決するシステムが必ずしも十分ではないんじゃないかという気がいたしておりまして、ある意味ではいじめられた子供にとっての駆け込み寺みたいな、そういったものを強化する必要があるんではないかというふうに考えております。
例えば、第三者機関であって、しかも子供が身近に感じられる第三者機関であって、電話とか、あるいはメール等ですぐいじめのことを相談でき、また、一定の権限を持って、直ちに調査なり、しかるべき対応について動けるような、そういうシステム、例えばいじめ一一〇番みたいな、いじめに特定をした、そういったシステムといったものを検討することは私は大事じゃないかと思っておりますけれども、この点についてはいかがなものでしょうか。
○伊吹国務大臣 先生がおっしゃることでいえば、牟田さんなんかがやっておられる、いのちの電話というのがあるんですね。いろいろ伺ってみると、これは、立ち上がりのときは、少し文科省を通じて国民の税金を入れていたようなんですが、今はもう全く自分たちの努力でやっておられる。私は、寄附を免税にしてもらえるNPOの資格をぜひ取りなさい、それは私がバックアップしますからと、この前来られたときに申し上げたんです。こういうことも必要です。
しかし、昔はやはり母親が家庭にいて、そして子供を胸に抱きしめていたわけですが、今は共働きですよね。これは、共働きをしていただかなかったら日本の社会と日本経済は動かないほどの規模になっちゃっているわけで、女性に家庭へ帰れということを言える状況ではないわけですから、それを踏まえて、できるだけ早く両親がうちへ帰れるように、これは少子化対策の面からも大切なことだと思うんですが、帰れるようにするとか、あるいは地域社会で先生御承知のように学校協議会のようなものができておりますから、この中でそういう御相談に乗れるようなものを考えてみるとか。
結構、地域の教育委員会ではやっているところもあるんですよね。その成功事例を昨日の会議でも少し話していった教育委員会もあるようですので、我が省としても、まとめてみて、そして、いいものは教育委員会に、また全国的にお知らせをするということもやったらどうかなと思っております。
○遠藤(乙)委員 ぜひ、そういう方向で具体的なシステムづくりを推進していただければと思っております。
続いて、今までのいじめの議論、ずうっと書類等を調べてきてみますと、気がつくことは、対症療法的なんですね。いじめはどこでもある、いつでも発生する、だから発生したらどうするか、またその予兆をどうとらえてやるかということはるる書かれておりまして、どうもいじめの発生を前提として、対症療法的に発想がなっていると。
ただ、なぜいじめが発生してくるのかという、その部分の追及が非常に弱い。分析が弱いんですね。ここを本当に分析、研究して、それへの根源的な対処をしないと、いじめそのものがなくならないのではないかと。いろいろな規制をしても、いろいろな指導をしても、形を変えていじめがどんどんまた陰湿なものになってつながっていくというわけであって、何か社会の構造的な問題がやはりあるような気がしてなりません。
特に、いじめる側の子供の背景とか動機とか、ここら辺がまだ十分分析されていないんではないかというふうに思っておりまして、例えば、いじめの特徴として、小学校の高学年から中学生にかけて非常に発生がふえるわけですね。それで高校になるとおさまっていくということがあって、やはり子供が身体的に大人になっていく、しかし精神的にはまだ非常に不安定な時期にいじめが集中しているというふうなこともあります。
また、個々のいじめをする子供たちの背景には、家庭の問題、両親が離婚しているとか、家庭で親とのコミュニケーションがないとか、あるいは、学業成績が振るわなくて、なぜ勉強するかわからないとか、いろいろな意味でフラストレーション、ストレスがたまっていると。そのかわりにいじめによってある意味では解消するようなこともあります。
また、いじめは集団主義的な特徴があって、要するに、日本の社会の特徴かもしれませんけれども、みんなと同じになることによって自分がいい位置を確保していく、そしていじめをされないようにみたいな、何か非常に日本の社会の特徴みたいなこともあって、ここら辺をもう少し分析して本質的なところに迫っていかないと、いじめそのものを根絶することはできないんではないかと。
だから、だれが悪いかという議論よりも、そういういじめが発生してくる社会学的、心理学的背景をよく探求して、それに対する本当の意味での予防的な方策を講じていく必要があるんではないかと思っておりまして、この点について、池坊議員、大変現場にお詳しいと思いますけれども、もしこれに対する御所見があれば、お伺いしたいと思います。
○池坊副大臣 遠藤委員がおっしゃいますように、いじめを初めとして、さまざまな問題を起こす子供たちの心理は、ストレスがあったり、それから、あり余るほどのエネルギーをほかに転化することができない、そして陰湿な事件やいじめになってしまうということが多いと思いますので、これからはもっと科学的にも子供のそうした心理を解明する必要があると思います。そして、そういうことをなくすためには、短期ではなくて、長期な学校現場の取り組みが必要と私は思います。
いつも言っておりますけれども、その一つに体験活動があると思うんです。自然と触れ合うことによって都会の子供は生き生きと、何か、生きる喜びを肌で感じます。私が秋田で視察いたしましたのは、東京の子供が牧場に参りました、最初は、汚いな、いられないよと言っている子が、三日たつとすごく感動して、これはリピーターがふえているそうです。また、地域の子供たちが触れることのないオペラとか、そしてコンサート、バレエ、もう帰りには手を振って、また来てねと言うんですね。
つまり、感動する心だと思います。私は絶対、自然体験、文化芸術体験、そして読書だと思うんですね。
今の子供たちは潤沢ですけれども、ちょっと離れていれば貧困で苦しんでいる人もいるんだと。中学三年生の子供がヘレン・ケラーを知らない、ヘレン・ケラーというのは何だ。つまり、伝記というのを読まないんですよ。それで、三重苦なのにどうして意思の疎通ができるんだと、本当に集まっている子供たちがびっくりして聞くんですね。
つまり、私は道徳の時間に本を読むこともしてほしい。そして、みんながそういうことについて語る。やはり、本を読むことによって思考力も、公平さとか正義感とか、そういうことを身につけることができると思うんですね。スポーツもそうだと思います。ですから、そういうふうに総合的な対策というのをしていかなければいけないと思いますので、そういうことには力を注いでいきたいと思います。
○遠藤(乙)委員 全く同感でございますけれども、日本の教育が、大変大事なんですけれども、どうしても学力だけに偏っているというところがいじめにもつながっているんではないかという点を感じているんですね。要するに、日本の明治維新以降の近代化の成功の最大の理由は教育だろうと思いますけれども、キャッチアップ型の発展の中で、非常に質の高い、知識を持った労働者をつくっていく、そういうモデルの中で教育がされてきた。
それが成功している部分は、非常によくワークしたと思うんですけれども、やはり今の時期になって、日本が、世界で最も賃金水準も高く、バブル崩壊後の長い不況も経験して、新しい局面に入ってきている。特に創造革新型の日本にしなければならない中にあって、そういう過去の追いつき発展型モデルの中の教育システムがいまだにあるということが、そのひずみがいろいろなフラストレーションやあるいはまたストレスになっているんではないかという気がいたします。
特に学力は、大変大事なものですけれども、それだけが価値基準になってしまって、それにはまらない子供はある意味で疎外されていくというところに、何か、いじめの背景があるような気がいたします。
やはり、価値基準は学力だけではなくて、いろいろな、どんな子供でも個性、創造性、持ち味があるわけであって、それを見つけてあげて、引き出してあげる、それに光を当ててあげるということがあれば、そういった問題は大幅に減っていくのではないかと思いますので、やはり教育システムの根幹的な問題としてぜひとらえていただきたいなという気がしている次第でございます。ぜひこの点、今後、大臣また副大臣の御指導を期待したいと思っております。
そこで、このいじめの問題とも関連しますが、人間力ということにつきまして御質問したいと思っております。
大臣もごあいさつの中で人間力ということを大変強調されておられて、これはこれからの日本の教育を考える非常に大事なキーワードではないかというふうに思っております。ただ問題は、人間力という言葉だけが走ってしまって、では具体的にどういうことなのか、何が問題なのかということを本当に深く考えていかないと、従来型の価値基準をそのまま持ってきたものを、人間力ということで、言葉だけがレトリックとして動くのではほとんど意味がないので、やはり人間力がなぜ必要なのかということを本当に深く考えて、それに合った教育システムを考えることが必要だと思っております。
先ほど鈴木委員の御質問にもありましたように、単なる知識、手段的知識ではなくて、人間としてどう生きるか、そういった部分、人間性とか、やはりそこら辺の部分が非常に大事だと思っておりまして、しかもそれをどう教育の現場で、具体的なメソッドとして、プログラムとしてそういったことを定着させていくかということが一つの重要なポイントだと思っております。
そこで、まず人間力ということにつきまして、これは大臣にお聞きしたいと思っておりますけれども、どう定義し、またどうそれを具体的に教育の場でプログラムとしてやるかということにつきまして、大臣の御所見を伺いたいと思います。
○伊吹国務大臣 先生がおっしゃいましたように、言葉だけがひとり歩きをすることは注意しなければなりません。教育再生会議の第一回会合の際に私がごあいさつの中で申し上げたことをもう一度お話ししたいと思うんですが、いろいろ居酒屋談義をしておりまして、政治が悪い、教育が悪いと言うと、話はもうそこで閉ざされちゃうんですね。
つまり、民主党の議員の先生方もこれだけいらっしゃいますけれども、理想の人間像はどういう人間像だ、共産党の先生、公明党の先生、自民党の先生方、これはやはりその人の人生観と価値観によって大いに違います。理想の国の形というものはどうなのかというと、その政党あるいは政治家の持っている政治理念によってかなり違ってきますね。それだけに、最後は集団として意思決定をしなければならないんですから、私たちは多数決という意思決定の仕組みを適用しているだけなんです。
であるからこそ、特に価値観に非常に左右される部分をどうするかについては、謙虚でなければならないし、対話をして、説得をして、そして最後に多数決で決めていく、このルールだけは社会保障とか教育に携わる者は大切にしなければいけない。
私が考えている人間力というのは、先ほど鈴木委員がおっしゃった、鈴木先生の主張と非常に近いんですが、まず日本人として生きていく最低限の基礎学力、そして我々が伝統的に大切にしてきた規範、弱い者をいじめちゃいけないよ、そしてともに優しく共生していこう。その気持ちがあるから、社会保障制度というのは日本にあるわけだと思います。そういう気持ちをしっかり持って、そして、権利は権利として、義務をしっかり果たしていく。自分の人間としての尊厳を主張する限りは、人間の尊厳の基礎である公へ貢献する気持ち、こんなものをしっかり持っている人、これが今非常に衰えてきている。
そして、その上にさらに創造性を持っている人は、ノーベル賞をもらわれたり、日本の科学やその他の人文科学を引っ張っていかれるということはあってもいいと思うんです。
私は、少なくとも基礎的な、これを学校教育だけに期待するということが現実的かどうかということは我々は謙虚に考えないといけないので、家庭の教育力を失っている者、地域社会の教育力を失っている者が一方的に学校を非難しても問題の解決にならないと思うんですね。ですから、地域、家庭の教育力の復活というところをむしろ再生委員会でしっかりとやっていただきたいということを私は最初に申し上げたんです。
○遠藤(乙)委員 私も大臣のお考えとは、共有する点が多々あるわけであります。
あと、私自身が非常に感じているのは、今の日本の人間力という点から見ますと、学力が落ちてきている、体力が落ちてきている、それから意欲が衰えてきている、モラルが落ちてきている。本来、天然資源が少なくて人材立国であるべき日本が、一番の人間の大事な部分がみんな低下していて、人材の劣化が起こっているというふうに認識をしております。これは非常に深刻な事態である。
私は、この中で特に意欲の問題、やる気がうせているという、実はモチベーションの部分が非常にポイントではないかという気がいたしております。豊かになって、あるいは先進国になって、さまざまに変わってきたこの日本の状況の中で、どうやってモチベーションを新たに奮い起こしていくかということが、多分、人間力ということの非常に重要なポイントではないかという気がいたしております。伝統的な価値観とか、規範意識は当然だと思いますけれども。
あと、個々の人に即してそういうモチベーションをどうやってつくっていくか。
私は、総理が言われた「志ある国民」の志、昔から言われている志というのは、ある意味では、個々の人間が、自分というものを見詰め、また社会を見詰め、自分がそこでどういう位置を占めて社会に貢献していくか、そういう個々の人間に即して、パーソナルビジョンといいますか、それをしっかりつくり上げることが今の日本にとって非常に大事なポイントではないかと思っております。
また、最近の若い人の議論を見ると、自分探しということが非常にキーワードになっております。学校を出て大学院に行ったり、会社をやめてまた何かをやったり。三十ぐらいになっても自分探しということにこだわっているということは、いろいろな意見があると思いますが、本来、非常に重要な、自分を見つけるということが、学校教育を終えるまでにできていない、これはやはり非常に大きなロスではないかというふうに思うんですね。
昔は十五歳で元服をして社会人として生きるという一つのあれがあったわけで、「十有五にして学に志す」と言いますけれども、大体十五歳ぐらい、義務教育終了のときぐらいまでに、自分はどういう特色を持ち、どういう個性があり、社会というのはどういうもので、その中で自分はどういう地位を占め、どういう貢献をするかということを、かなり具体的にそういう志としてつくっていくということが大変大事なポイントだと思うんですね。
それが、今の日本の教育システムでは、手段的知識ばかり洪水のように入ってくるけれども、自分探しに向けての、自分としてどう生きるかということについての具体的なビジョンなり方向性をつかんでいく上においてほとんどこれが余り役立っていないということだと思いますので、ここはやはり重要な、学校教育の間に自分探しをしっかりとできるような、そういうことも必要ではないか。もちろん、これは家庭であり地域であり、協力してやらなければなりませんけれども、一番長い時間を過ごす学校教育の中でそういうこともしっかりとヘルプしていく必要がある。
また、多分キャリア教育とも絡むと思うんですが、やっと最近キャリア教育ということが言われ始めましたけれども、今まではなかなか、学校の授業と社会の役割が分離されていた感が強くて、学校で学ぶことがどう役に立っていくのかということが非常に問題意識のないままに知識を与えられれば、子供たちもやはりフェッドアップしてしまうということでありまして、ここら辺も含めて、もっとパーソナルな生き方、ビジョンの形成について、どう生きるかについて、志の形成について、学校システムが、地域と社会も協力しながら、家庭も協力しながら、しっかりと自分探しの少しサポートをしてあげる、そういう発想が必要ではないかと思っておりまして、この点につきまして、もし大臣の御所見をいただければと思います。
○伊吹国務大臣 今先生がおっしゃったことの一番根底にあることが、私が申し上げたことだと思うんですね。これは、教育の仕方、その他いろいろ、御指摘のようにあると思います。
総じて言いますと、物質的にこれだけ豊かになった中で、志を持って、上昇志向を持っていくということは、生物学的にいえば非常に難しいですよね。それから、競争至上主義的なことをやると、金をもうけたいとかいう、いろいろな志が出てきますが、それがライブドアや村上ファンドであっては困るわけで、過去のいろいろな人間社会に貢献した方々の事例を教えていくとか、表に出てはいないけれども、実は地域社会でこんなに敬愛されていた人が自分たちのふるさとの中にいるとか、そういうことをやはり事例として教え込まないと、ああいう人になりたい、こういう人になりたいというのはなかなか出てこない。
そして、一番大切なことは、教え込み、褒めてやらねば人は動かずということですから。先生の教育の仕方にもいろいろあると思います。
これはだから、何かという妙薬はございません。みんながトータルなシステムとして、先生がおっしゃるような、志を持った人を育てていく、これが日本の将来の活力ということだと思います。
○遠藤(乙)委員 大臣とかなり、共有している部分が非常に多いと思っております。
ただ、志というのは上昇志向ということでは決してなくて、多分日本の価値観も、より豊かに生きることから、よりよく生きる、自分の本来の持ち味を生かしながら社会にどう貢献するか、そういう方向に今動いてきている面がありまして、そういった意味での志はぜひともしっかりと持たせることが必要であって、それがないからいろいろな社会病理学的なものが出てくるんだろうと思っております。
私は、一人の人間でも、本当に何か目的意識を持ってやる気になったときとそうじゃないときは全然開きがあることはだれでもわかるわけでありまして、そういった意味で、日本の教育システムに欠けているモチベーション革命といいますか、そこら辺をどう取り組むかということが大事だと思っております。
ちょっと例は飛躍しますが、例えば日産を立て直したカルロス・ゴーンとか、あるいは千葉ロッテマリーンズを立て直したバレンタイン監督、最近ではまた日本ハムのヒルマン監督とか、非常に日本人の文化をよく理解し、どうモチベーションを与えるかということに非常に意を用いて、陰に隠れている選手の個性を評価して、それを、先発完投は無理としても、リリーフで用いれば非常に力を発揮するとか、いろいろなそういう力を引き出すこと、それを発揮させることに意を用いてやることによって、そういった下位球団を上位に持っていったというようなことがありまして、やはりモチベーションを高めるようなことをする。教室の現場においてもそれはぜひやるべきだ。
単に学業だけではなくて、この子はボランティア活動とかスポーツとか芸術に持ち味があるとか、いろいろなことを発見してそれを引き出していく、そういう意識に教師が立ってくれれば、これは非常に学校も楽しくなるし、よくなるだろうと思っておりまして、そんなことも含めて、教育再生会議の場等も含めまして、ぜひ新しい発想に立った議論をお願いしたいと思っております。
そういうことで、大臣、また副大臣にも強い期待を表明した上で、質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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